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もりあそびより
平和って空気みたいなもの。
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この2年、中国新聞社の「読者と報道委員会」の委員をさせていただいていました。
委員は3人。広島大名誉教授の森辺成一先生と、弁護士の中村健太先生、そして私。
おふたりともとてもユーモアがあって、お話も面白く、ご意見は鋭くて、
毎回「ほっほー」と思いながら、楽しく参加させていただいていました。
最初の頃は、私ももっと実のあることを言わなくては、と思っていましたが、
大学の先生や弁護士さんよりも気の利いた意見が言えるわけでもなく、
私は読者代表なので、一般人として記事を読んで感じたことをお伝えさせていただきました。
毎回お題があって、その記事を読んで意見を述べるという会なのですが、
最終回の今回は「被爆80年報道」について。ということで、今の私の脳内は、
核禁止条約、NPT(核拡散防止条約)、原爆の日など、平和や核、
そして被爆者の方々のことを考える日々です。
新聞を取っているとはいえ、読み飛ばしてしまう記事も
もちろんたくさんあります。
けれど、委員として「読まなければならない」立場になったことで、
今まで知らなかったり、見て見ぬふりをしてきたことにも
目を向けられるようになりました。
新しい情報や知識を得ることができた、本当に貴重な2年間でした。
事実を掘り起こし、伝えることのプロである
「新聞記者」さんの仕事ぶりを垣間見られるのも、ワクワクする時間でした。
そして、うちの夫も広島の人なのですが、やはり平和や原爆への意識が、
みなさん、私とはまったく違うなあと感じます。
今年、中国新聞社では4月から被爆80年企画として
「ヒロシマドキュメント」という連載が始まりました。
原爆が落とされた日から、人々のライフストーリーを、
日にちごとに、どんなことが起こっていたかという形で記録しています。
その記事は、記録としてもすごく価値があり、読み物としても、時間を忘れて
読み入ってしまうほどの力があります。
新聞協会賞も受賞され、書籍化の話もあるそうです。
ネットでも読めますので、ぜひ皆さんも読んでみてください。
https://www.chugoku-np.co.jp/stp/hiroshima-documents
この「読者と報道委員会」は広島の中国新聞本社で開かれるのですが、
そのたびに広島へ行けるのも楽しみのひとつでした。
長らく工事中だった広島駅の駅ビルが
今年オープンし、今回初めて、2階から出発する路面電車に乗れました。
駅ビルには、山口ではお目にかかれない
キラキラしたものがいっぱいあって(笑)
私には全然わからないけれど、若者たちはワクワクするんだろうなあと思いながら、
私はただうろうろしています。(笑)
そして毎回訪れるのが「おりづるタワー」。
https://www.orizurutower.jp
最上階には展望台があり、平和記念公園と原爆ドーム、爆心地、
そして広島の街並みを一望できます。
一つ下の階には、折り鶴を折るスペースがあり、掲示物もほとんどありません。
広島の過去と現在と未来を感じられる場所です。
いつもそれほど混んでいないところも好きで、ゆっくりと時間を過ごすことができます。
入場料を高いと感じるか安いと感じるかは人それぞれですが、
売上の一部が原爆ドーム保存事業基金や広島市平和推進事業に寄付されているとのこと。
だから広島に行ったときは、必ず展望台まで上がります。
何より、心地いいから。
そして、平和記念公園。
今はシーズンということもあってか、修学旅行生がたくさんいました。
世界中からも大勢の人が訪れています。
小さな子どもも若者も高齢者も、いろんな方がいらっしゃる。
その姿を見るだけで、「ああ、平和っていいなあ」と感じます。
木陰のベンチに座って、そんな風景を委員会の時間までぼんやりと眺めています。
今回は、銀山町にある「世界平和記念聖堂」にも行ってきました。
自身も爆心地近くのカトリック幟町教会で被爆し、その後世界に広島の現状と救済を伝えた、
海外での被ばく証言のさきがけでもあるフーゴ・ラサール神父が帰国後に建てられた教会です。

詳しくは「ヒロシマドキュメント」の中にあります。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/592097
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/605300
現在は国の重要文化財に指定されています。
今回の記事の中にあって、ぜひ見てみたいと思ってただそれだけで行ったのですが、
お隣にはエリザベト音楽大学が(教会が作った大学?)あり、
大学からは素敵な歌声が響いていて、反対側には幼稚園もありました。
この教会は、子どもたちや若者たちの歌声や演奏を聴きながら
静かに建っているんだなあと思うと、とても幸せな気持ちになりました。
戦後80年。
日本が戦争をしていないのは、先に生きた人たちが平和を守ってきてくれたから。
この先の100年、200年、戦争をしない国であり続けるためには、
今を生きる私たちが頑張らないといけない。
いつも広島に行くたび、そんなことを思う私です。
だから広島には、それを忘れないように行かんといけんなあと
思っています。
sayuri.i


