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もりあそびより
大人がつくる社会と子ども
- 園の日常

今年の夏の始まり頃、「野田マップ」を観に行った。
今年のタイトルは「華氏マイナス320°」。
毎回、とても重たいテーマが扱われるお芝居らしいが、
とても人気で、なかなか手に入らない貴重なチケットらしい。
今回も、きれいごとでは済まされないテーマだった。
それなのに、とてもコミカルに描かれていて、
演者の皆さんも、どこまでが台本で、どこからがアドリブなのかわからないくらい、
テンポよく面白い。休憩なしの3時間が、あっという間だった。
帰りにパンフレットを買った。
最初に、野田秀樹さんのコメントが載っていた。
「すぐに答えを求める時代だけれど、本当に大切な問いには、
簡単な答えなんてない。人は、答えの出ない問いを抱えながら生きていく。」
そんなことが書かれていた。
そして、その中に自動車とスマホの話が出てくる。
どちらも、開発され、世の中に出てきたときには、
ここまで人間の生活や、さらには人間の「思考」そのものまで変えてしまうものになるとは、
きっと想像していなかったのではないか、という話だ。
それを読みながらふと、自動車が生まれたとき、なぜ大人たちは、
子どもに運転させないという社会のルールをつくったのだろうかと思った。
子どもには、運転に必要な身体的な発達も、
状況を判断する力も、事故が起きたときに責任を引き受ける力も、まだ十分ではない。
だから社会は、「子どもには運転させない」というルールをつくった。
これは、それぞれの家庭が個別に判断することではない。
「うちの子は大丈夫だから」と、親が決められることでもない。
子どもの発達や安全について、大人の社会全体が考えたうえで、
子どもにはまだ与えない、と判断したのだ。
では、スマホはどうなのだろう。
最近、世界のあちこちで、
子どもたちをスマホやSNSから遠ざけようという動きが出ている。
しかし現実は、ベビーカーに乗っているような小さな子どもがスマホを
操作していることも、珍しいことではなくなった。
子どもたちは驚くほど器用に指を動かし、画面をスワイプする。
操作できる。だから、使える。
でも、「使えること」と「子どもに与えてよいこと」は、本来、同じではないはず。
自動車も子どものサイズに作れば、子ども達だって運転も簡単に出来るだろう。
けれど社会は、「できるから」という理由で、子どもに運転をさせたりはしない。
子どもの発達や、背負うことのできる責任の大きさを考え、大人の社会が線を引いている。
子どもは、大人のミニチュアではない。
子どもを守るということを家庭の中で、親が頑張ることだけでは限界がある。
個人の判断に任せることで、社会の責任を放棄していないか。
大人の世界にあるものを、そのまま子どもの世界に持ち込んでしまってはいないだろうか。
子どもが子どもとして育つことを、大人の社会全体で支えること。
そのために、子どもの発達を知り、子どもにとって何が必要で、
何がまだ必要ではないのかを考えること。
それは、社会が持つべき「教養」のひとつなのではないかと思う。
科学技術が、私たちの生活だけでなく、思考まで変えてしまう時代だからこそ。
その変化の中で、自然そのものの子どもたちをどう守り、どう育てていくのか。
問い続けていきたい。
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