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もりあそびより
思い出
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次女のバドミントンの中国大会で出身である鳥取に帰省していました。
祖父母の家に行くと、昔と変わらない光景が

柿が一斉に並んでいます。
山奥のこの家で幼少期を過ごした私は、2人とも仕事をしながら田んぼや畑の世話に明け暮れる祖父母を見て育ちました。
まだ少し寒い頃は祖母と山菜をとりに山へ行ったり、友達と競争しながらふきのとうやつくしを摘んでくる。
春は祖父が建て前の現場から(祖父は大工でした。)私と弟を保育園に迎えに行き、その後祖母の職場に祖母を迎えに行って帰ってきたら苗に水やりをするお手伝い。
大人が田植えをしている期間はひたすら毎日田んぼの近くの澤で(ウワバミソウ)をひたすら積んだり、スズコ(笹のタケノコ)をひたすら採り続け、帰ったあと、祖母と玄関でしごをしながらおしゃべりして、それを晩御飯で食べる。
祖母は山葵漬けをせっせと作る。
祖父は夜中から川へ行き川魚を釣ってくる。
梅雨になったら、梅仕事、それかららっきょう切り。
夏は夏野菜を収穫して、大好きなミニトマトをひたすら口に入れていって帰る頃にはお腹いっぱい。
夏休みが終わると稲刈りや、芋掘り。美味しいものがたくさん。
祖母の実家の地域の祭りに行くと祖母の兄の奥さんが新米で蜂の子(スズメバチの幼虫)ご飯を作っていて毎年勧められるが怖くて一度も食べたことはない。
2年ほど前に亡くなった祖母の兄が近所の人たちや親戚に見せる優しく穏やかな感じと仕事に行く時のキリッとした顔のギャップ(亡くなる少し前80代でも現役で林業の現場に行っていた)
1人で小さな籠に小さな柴栗を集めて持って帰ると仕事から帰った祖母が茹でてくれる。
はちみつを集めて瓶に日付を書いた。
秋は柿の木に熊の引っ掻いた後。熊は甘いものがすきなんだなー。と幼な心に思っていました。
ゆず味噌やゆずジャムを祖母が作るので届く範囲で柚をとる。
冬は豪雪地帯の為坂道に川のようにひたすら湧き水を流し雪が積もらないようにと凍結を防止されていました。
雪だらけの畑から大根や白菜を採ってくる時の手の冷たさ。
専業農家の祖母の妹夫妻の所に行き、長ネギの収穫のお手伝いや、出荷するしめ縄飾りのお手伝い。
蜜柑が大好きな祖父は仕事で使っている大きなトラックに早朝から乗り、四国に行っては業者のようにコンテナを何十箱分も蜜柑を買ってくるので毎日蜜柑をたくさん食べた。
寒い時期は祖父の大好きな狩猟。
祖父の持っている車の内の何台かには無線機が積んであって仲間と良く連絡をとっていた。
猪や鹿を捌いては冷凍してスライサーで薄く切り真空パックに詰めて小分け冷凍。
そして1番大好きだったのは祖父の兄弟たちや時には祖母の兄弟たちまで来て皆でやる餅つき。
他にも早起きして豆腐作りをしたことや、
縁側に腰かけていて何かの拍子に頭からござの上に干してあった蒟蒻芋の上に落っこちたり
干していたぜんまいを煮て食べてみたら一緒に干されていたカメムシを一緒に食べてしまっていたり書き出したらキリがないけれど楽しかったことばかり。
面白いのが、そんな生活を祖父母がまだやっているので自分はとっくに大人になっているのについ祖父母がまだ若いと錯覚してしまう。
我が家の子どもたちは生まれてからずっと祖父母が育てた米で大きくなってきたし、2人とも村の事業をやっていたり、祖父は未だに猪を狩にいったりしている。
これは当たり前のことではなくて感謝しなくてはと常々思っている。
思い出は誰かと過ごしたことがベースになっているんだなと感じます。
もりのこえんでも子どもたちがふと
「◯◯さんと△△で〜したよ。」
と話してくれることがある。
その時に私も
「私は◯◯さんと△△で〜したんだよ。」
とつい答えてしまう。
子どもたちが大きくなったとき、そんな思い出の場所のひとつがもりのこえんだったら素敵だなと思います。
かよ


